綾日記

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 わが土筆短歌会は昭和五十年五月鳥取市社会福祉協議会の事業の一つとして創設されて以来十数年を経て今日に至っている。最初の二年間は県歌人会長山本嘉将氏が当っていたが三年目からは小生が当ることとなって十数年経っている。其間幾多の歌人が輩出したが、現在まで長年月継続されている歌人も十指を数える事が出来る。その中で石脇綾子さんもその一人である。一ヶ月に二回の定例会を加えると大変な会合である。石脇さんは古希過ぎまでは割合に元気でしたが、六年前に脚の痛みで米子医大で手術して長期間入院されていたのですが、人工関節ながら再び元気を取り戻して歌作に一生懸命の姿を見ると敬意を表する次第です。趣味として菊作りを専念し、歌作を以て終生怠ることなく継続しているあたり、以て見倣らいたい次第です。

 今年また赤く実りし南天の歯抜けとなりて小鳥の餌して
毎年々々南天の実が鈴なりになって冬を迎えるのであるが、今年は早々と歯抜けになって−それは小鳥らがやって来て餌として採った事と思われる。小鳥らも餌なしでは冬を越されない−南天と小鳥との共生してさぞかし小鳥らも喜んでいるだろうと思われる。

 さ夜眼ざめ師走の空の満月のカーテン明かしガラス戸越しに
冬の満月はすばらしい風景である。さ夜眼覚めて十二月の満月の明かりにカーテンがすばらしく明るいのに気付いた。その着想たるやガラス戸越しの満月を稱えているのである。このように直感的に描写利いていて写実そのままに力強く表現されている。アララギ派とても云うのであろうか写実本位の短歌(うた)は直感をきびしく通して把握するにあると思われる。決してつくりごとではない。ありのままと歌っていく事である。

 兎もあれ、日常の茶事の中から決して見逃してはならない多くの歌材を見失うことのないように心掛くべきである。
 石脇さんのうたは直截で飾り気のない然も音律的で、すらすらと詠まれていて、その人間性を余す所なく心豊かさが溢れ出ていて、一層の味わいを思わせる。齢八十一歳の石脇さんの老後の生甲斐と楽しさの一層の幸福を祈って止まない次第であります。

 鳥取市吉方町一丁目
 茅屋にて(山陰アララギ、林泉 所属) 森本直象
 

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