≪変遷した大山標高の表記~頂上碑移設に寄せて~ (2019.05.28)≫ より引用 ・・・戦後は国土地理院が測量を行い、1961年(昭和36)8月に弥山東100mの現在地に三角点を移しました。ここは縦走路上で見通しがよく、当分、崩れ落ちる心配がないという条件がそろっていたからです。三角点は一番高いところとは限らず、測量しやすい場所に設置されます。測量の結果は、1710.55mで、四捨五入して1710.6mとして公表しました。さらに四捨五入して1711mとなりました。 国土地理院は、主だった山の高さに標高を記すことにし、大山では1973年(昭和48)に三角点を参考に空中測量によって標高を測ったところ、一番高い剣ヶ峰は1729mでした。この結果を2万5千分の一の地図で公表し、1989年(平成元)の測量の日(6月3日)を記念して各県の最高峰を初めて公表。大山は剣ヶ峰を最高峰とし、1991年(平成3)に発行された国土地理院の「日本の山岳標高一覧」にも大山の標高は1729mと掲載されました。日本山岳会山陰支部が1999年(平成11)に発行した「大山概念図」でも、剣ヶ峰を山頂としています。 三角点は2000年(平成12)10月6日に発生した鳥取県西部地震で崩れ、元の位置から北側斜面に約3mずれ落ちました。そこで国土地理院は、ずれ落ちた場所から2.2m高い東南東約7mの尾根上に移し、GPS測量の結果、三角点は以前より2.2m低い1709.43mになり、四捨五入して標高は1709m。弥山頂上の高さはこの標高を表しています・・・ |
下の剣ヶ峰の写真では、標高1731mの銅版が写っているけど、
私たちが登った1975年にはすでに1729mとされてたんだね。
ところで当日は男2人、女3人で登ることにしてたのだけど、
当日朝、
もう一人の男が列車に乗れなくて、急遽欠席のハプニングもあった。
当時はケータイなどもなくて連絡の取りようがなく、
事情を知ったのは下山後だった。
当時の五万分の一地図
現在の登山ルート
夏山登山道
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弥山 1711m
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縦走路(現在は閉鎖中)
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大山最高峰:剣ヶ峰 1731m
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元谷のガレ場を下る
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大神山神社に無事下山
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